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〜痛みを分かち、みんなで創る新生北中城村〜「新行財政改革実施中」

――――山内 七星――――

 私は、八月七日から十日までの三日間長崎ピースフォーラムに参加しました。フォーラムでは、原爆の恐ろしさや平和の尊さについて学びました。
  私が一番心に残ったのは八月九日に行われた長崎原爆平和式典での事でした。一九四五年八月九日、十一時二分、原爆が投下され一瞬の出来事に逃げることもできず亡くなった多くの人たちの事を考えるととても心が痛くなりました。私は、平和への誓いで被爆者代表の奥村アヤ子さんが言っていた言葉一つ一つに心をうたれました。四十六年間原爆の話ができなくて、原爆の事になると、見たくない、聞きたくないなど戦後も心に傷を負って生きていました。しかし、アメリカの大統領オバマのプラハ演説は、六十四年目にして被爆者の声がやっと世界に届いた形となってとても良かったと言っていたので、この世界から核兵器がなくなり、多くの人々に平和と命の尊さを伝えていってほしいです。
  それから私たちは大学生や高校生達と一緒に平和の尊さについて学びました。そこでは他県の人達や同じ沖縄でも那覇市、石垣市などめったに会えない人達ばかりで、最初は友達になれるかとか一緒に参加できるかなど不安もあったけど、いざ集まってみるとみんなしゃべりやすい人達で人間知恵の輪や紙芝居クイズなどをやって仲よくなりました。また、平和宣言文作りも書いたりして楽しかったです。そして、夜には青少年ピースフォーラムの人達と一緒に食事会がありました。そこでは、どのテーブルで食べようと関係なくいろんな他の人達ともしゃべったし、一緒にご飯も食べたりして、名刺交換の時には七人ぐらいと友達になる事もできました。また、大学生や高校生の人達も優しくてボランティアの人達のおかげで他県の人とも仲良くなれたし、命の尊さや平和のありがたさを知ることもできたので今、改めて感謝しています。
  また、同じ班だった中学一年生の子は長崎の原爆についてあまりにもくわしくてびっくりしたし、そのはんめんあまり沖縄戦について知らない私が恥ずかしくなりました。なので、沖縄戦についてもっと勉強したいなと思いました。また、北中城中とは近い北谷中の人たちとも行動を共にできて良かったです。
  最後に、この地球上から核兵器をなくして安心して暮らしていける世界を作り、人間一人一人の命を大切にしていってほしいと願います。修学旅行では学べない事も山ほどありました。なので、これからは学校や学級のみんなにも体験したことを話してこれからも戦争について勉強していきたいです。
  こんな貴重な体験どうもありがとうございました。

――――東江 佳奈――――

 私は正直、日米戦争で一番酷い被害に遭ったのは沖縄県だと思っていました。唯一地上戦であり、多くの住民が犠牲になった沖縄戦が、最も激戦地だと思っていました。この長崎平和学習の旅に参加するまでは。
  八月七日から八月十日まで、私は北中城村主催の「長崎平和学習の旅」に参加しました。
  長崎の旅で、被害者の方の体験談を聴いたり、実際の原爆遺構を巡ったり、ピースフォーラムに参加したり。平和祈念式典にも参列しました。去年行った修学旅行では学ぶ事が出来なかった、沢山の貴重な体験をすることができました。
  色々な体験の中で私が最も心に残っていることは、被爆者の森口さんの講和です。長崎に原子爆弾が投下された当時に建っていた城山小学校を案内して頂きました。私と同じくらいの年齢の子供達が、逃げることもできずに一瞬のうちに命を奪われてしまったという事実に、大きな衝撃を受けたのを昨日のように思い出せます。六十数年たった今でも心の傷が治らない、と語ってくれた森口さんが受けた傷は、例え何年時が過ぎても消えないものだと思いました。こんな残酷な原爆を、二度と使用してはならない、と強く思います。
  残念なのは、原爆から耐えた数少ない施設が、どんどん壊され、なくなっている、ということです。沖縄でも戦争体験者が年々減っていくように、長崎の原爆体験者の方々も少なくなってきています。それなのに、原爆の悲惨さを後世に伝える資料がなくなっているのは、とても駄目なことです。
  先人達が苦労して遺してくれたことを、私達新しい世代が忘れずに、子孫に伝えていかなければいけないと強く思いました。 平和祈念式典会場で。左から伊佐幸大君、 小波津拓星君、東江佳奈さん、山内七星さん
  嬉しかったことは、ピースフォーラムに全国から多くの中学生・高校生が参加していたことです。みんなの平和への意識の強さと責任感に、感動しました。みんなの考え方や提案、色んな意見交換ができて、充実したピースフォーラムを過ごすことができました。
  このように様々な貴重な体験をすることができたのも、私を推薦してくれた先生方、役場の方、被爆者やボランティアの方々ほか沢山の人のお蔭です。本当にありがとうございました。
  これからはこの旅で学んだ多くのことを学校や友達達に教えていきたいです。いつか、世界から原爆がなくなることを願います。

       


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