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〜痛みを分かち、みんなで創る新生北中城村〜「新行財政改革実施中」



長崎平和学習の旅

8月7日から8月10日までの4日間、北中城中学校3年生4人が長崎平和学習の旅へ参加しました。原子爆弾の被爆地でその痕跡を見聞し、また平和祈念式典や青少年ピースフォーラムへ参加することにより多くのことを学んだ参加者の感想文を紹介します。(一部省略)

原爆遺構巡りでガイドの森口さんから 説明を受ける参加者
原爆遺構巡りでガイドの森口さんから 説明を受ける参加者

――――小波津 拓星――――

僕はこの平和学習に向かう前は、長崎に投下された核爆弾のことは、ただ投下された。とぐらいしか思っていませんでした。しかし、この平和学習を通してとてもたくさんのことを、学びました。
  まず、原爆投下への思いは、「とても恐ろしい物」ということです。本当にたった数秒のうちに長崎の町のたくさんの人々の命が失われ、そのことで今でもなお、多くの人たちが、苦しんでいるそうです。それで僕たちはその被爆者である「森口さん」という方に、長崎市内を案内してもらいました。森口さんのお話は、一つ一つとても深い思いが伝わってきました。特に森口さんのお話のなかで、「嘉代子桜」のお話が印象深く残っています。この嘉代子桜は、かよこちゃんを亡くしたお母さんがその場所に、木を植えて墓を造ったと言っていました。僕は、この話を聞いた時は、とても涙がこぼれそうでした。
  また、平和会館ホールでピースフォーラムでは、全国各地からたくさんの人たちが来て、平和交流会をする事ができました。初日は、緊張してあまりうまく喋れなくて、引っこんでいました。しかし、二日目は、班で二つの案を出して平和宣言文を作りました。そこで僕は、自分から進んで宣言しました。そのかいもあって、班のみんなとも、話が進みました。僕はこのフォーラムに参加してとても、よかったなと今も思っています。
  フォーラムの後、長崎新聞文化ホールという所で夕食交流会をしました。そこでは、皆でご飯を食べたりなどをして、もっともっと皆との仲が深まりました。とても充実した二日間でした。
  また、三日目は、平和祈念式典に参加しました。そこでは世界各国から色々な人々が参加しているのを見て僕はビックリしました。皆さん平和への関心がとっても強いことが解りました。
  この長崎平和学習に派遣されて、とても多くのことを学び・体験することができました。また、これからもこの平和学習で学んだことを、たくさんの人たちに伝え・広めていきたいです。本当にありがとうございました。

――――伊佐 幸大――――

僕は今年の夏休み六十四回目の原爆忌を平和大使として長崎で迎えることになった。
  原子爆弾が長崎の上に投下されてから六十四年、どんな言葉を使っても言い尽くせない被爆者の苦しみは今でも続いています。六十四年前の放射線が未だに身体を蝕み、六十四年前の記憶が昨日のことのように蘇り続けるからです。
  原爆投下時刻の午前十一時二分、「長崎の鐘」サイレン、船舶の汽笛が鳴らされ、参加者全員で一分間の黙とうをささげた。黙とうの最中、亡くなられた人々にちゃんと僕たちの声は聞こえているかななど、それと同時に核廃絶者の一員として核のない世界にと恒久平和を祈った。また、長崎の田上市長は平和宣言の中で、核保有国・疑惑国の指導者十人の名前を挙げ、長崎を訪問し、被爆の実相を見るよう要請した。アメリカの大統領オバマさんもプラハでの「核兵器のない世界」へ共に歩んでいこうと呼び掛けた。僕はこれらの人々が核の意識に年々高まってきている事、参加している国が多くなっている事を知り、日本だけでなくいろいろな国が核をなくすために力をいれている事を改めて感心し安心した。
  僕は最近、テレビ放送で「硫黄島からの手紙」という映画を見た。これは戦争の内容で、戦時中、白旗を持って降参する人もいれば、天皇陛下のために顔色一つ変えずに戦う人もいる。どちらが、いいかどうかは分からないが、戦争というものは人を変え、罪もない人が亡くなるとっても恐ろしい事です。僕はこのような映画を見て、改めて、戦争をしたくないと感じた。だがしかし、長崎・広島級の核兵器より強力な破壊力を持つ爆弾や殺傷能力の高い原爆が製造、開発されているらしいと聞いています。だが、一人一人が核の恐ろしさを調べて知る事が核廃絶の近道だと僕はそう思った。
  僕は、この長崎平和学習に行く前までは、戦争の事をあまりよく知ろうとはしなかったが、この長崎の式典に参加し、戦争の恐ろしさ、苦しさ、むごさ、逆に家族が共に過ごすことができる平和のありがたさを改めて深く感じた。このような貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。
  これからも僕は日本国内だけでなく海外にも大きな目を向け考え、行動しようと思いました。


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