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写真 長崎平和学習の旅

   森口さんの案内で原爆遺構巡り


8月7日から10日まで、 北中城中学校3年生4人が 長崎平和学習の旅へ参加しました。 悲惨な原爆・戦争体験や被爆の痕跡を見聞し、 また平和祈念式典や青少年ピース フォーラムへ参加することにより多くの ことを学び、感じ取ってきたようです。


長崎平和学習に参加して仲本拓真

 僕は、長崎平和学習に参加して、教科書や修学旅行などではわからないことがわかりました。八月八日の二日目に森口貢さんと原爆遺構巡りや長崎の歴史のわかるところを巡りました。最初は国際墓地を巡りました。ここは、今からちょうど百年前にあった戦争で命を落とした人たちが埋葬されていました。次に一本柱鳥居を見ました。一本柱鳥居は、爆風で片方が壊れて一本になったそうです。そのほかに第一の鳥居も爆風に絶えて残っていたそうですが、交通事故によりなくなったそうです。その他、爆心地公園などに行きました。
 そのあと、ピースフォーラムが平和会館でありました。六三年前の長崎について勉強しました。六三年前の長崎は、戦争をするための造船所や工場がたくさんあったそうです。また、空襲の被害をあまり受けていない都市だったそうです。そういう事があったので、原爆投下の目標となったそうです。その他にも原爆による被害や爆風の速さ、原爆で亡くなった人の数について勉強しました。
 翌日は、平和祈念式典へ参列しました。平和式典は、ものすごい人の数で戦後六三年経過しても、人々の平和への思いが強いなと思いました。
 そのあとに、二日目のピースフォーラムがありました。班で意見を言い合って「一人ひとりができること」について話しました。僕たちの班では、「いじめや差別で悲しんでいる人を無くすため」を平和宣言文にしました。差別があるのも平和じゃないと思い、皆が平等で暮らしていくのも平和だと思いました。
 僕は長崎平和学習に参加して、学んだ事は原爆という小さな爆弾で七万四千人の人が命を落とし、今も原爆症で苦しんでいる人がいるとわかりました。今でも世界中には、たくさんの核爆弾があるそうです。この爆弾は永遠に使われることなく、世界中の皆が安心して暮らしていける平和な地球になってほしいです。



平和学習を通して比嘉優里

 私は、8月7日〜10日の3日間、平和学習として、青少年ピースフォーラムや、平和式典などに参加しました。
 一日目は、北谷町との交流がありました。はじめは、全く知らない人ばかりだったので不安でいっぱいでしたが、二日目からは仲良くしゃべれるようになり、不安はすぐなくなりました。
 二日目は、原爆によりこわれてしまった建物や、木、お墓などを歩いて見学しました。外は暑くて、ヘトヘトでしたが、昔の道や建物を直に見ていくと、とても不思議な気持ちになり、その頃にタイムスリップしているようでした。そして、原爆がどれほど悲惨なものなのかを、改めて感じました。
 午後は、ピースフォーラムに参加し、当時、原爆で被害にあった方の話を聞きました。その方は、顔にやけどをしていて、当時はとてもひどかったと言っていましたが、キズはよくなったとしても、心のキズはこれからもずっと消えることはないと思いました。たった一つの原子爆弾が、たくさんの人々の命や、これからの人生をめちゃくちゃにしてしまうなんて、本当に信じられませんでした。そして、その日の夜は、全国から来たたくさんの人々で交流会をしました。交流会では、たくさんの友達ができて、とても楽しい時間をすごせました。
 三日目は、平和式典へ参加しました。遺族の方々や、総理大臣、たくさんの人が、その日、世界の平和を願い、核兵器がなくなる事を願ったことだと思います。いつか、本当に、核兵器のない世界がくる日を、信じたいと思います。  今回の平和学習は、本当に自分自身の為になり、平和について、もっと考えていくきっかけにもなりました。この学習に参加できて、今の平和な一日が、とても幸せなんだと思うことが出来ました。本当にありがとうございました。



平和学習を終えて嘉陽アイリ

 私は、今回この平和学習に参加するまで、戦争というものが、これほどにも恐ろしいものだとは知りませんでした。
 今回、森口さんという方に、たくさんの遺構巡りに連れて行ってもらいました。森口さんは一つ一つの遺構で詳しくお話ししてくれました。その時、私が知ったことは、日本は何百年も前の大昔から戦争をしていたという事です。その頃から戦争はもう始まっていたという事を聞いて、なんだかすごく複雑な気分になりました。
 次に、原爆資料館に行きました。そこでは、思わず目を背けたくなるような残酷な戦争の事実がありました。原爆の熱戦での大やけどの写真や、当時の衣服や、爆風で壊れた時計などがありました。資料館に保管されていた時計はよく見ると十一時二分で止まっていました。なんと十一時二分は長崎に原爆が投下された時刻でした。その瞬間、体中に鳥肌が立ちました。その時計は今でも鮮明に記憶に残っています。その時計を見るだけですごく怖いと感じました。
 長崎に原爆が投下されたことで、大勢の人々が家族を失い、命を落としました。かろうじて生き残った人々も、大けがを負い、食べる物もなくて、まさに生き地獄だったと聞きました。たった一つの原子爆弾で、大勢の人達の将来をうばい、幸せをうばいました。
 戦争は私が思っていたものよりも、はるかに悲惨で残酷なものでした。そんな悲惨をもう絶対にしてはいけないと強く思います。これからの私達は二度とこのような過ちをしてはいけません。今でも他の国では戦争をしている国があります。その国の戦争を進めている人達に、戦争によって得られる物はないと伝えたいです。そして私達が今回学んだ事を、その人達にも学ばせたいです。



長崎平和学習に参加して村吉政成

 長崎平和学習に参加する前までは、長崎は原爆が落とされた所なんだなぁとしか思っていませんでした。だけど、平和学習に参加して今まで知らなかった事をたくさん知ることができました。
 まず、原爆遺構巡りで森口さんの話を聞きながら、いろいろな所を見て回りました。その中で、一番印象に残ったのは、原爆で半分だけになった鳥居です。
 その後に、原爆資料館に行きました。そこでは、原爆の実物大の模型や原爆の被害にあった人達の写真などを見てとてもかわいそうだなぁと思いました。
 つぎに、青少年ピースフォーラムに参加しました。そこでは、一九四五年八月 九日に原爆が投下されたときの温度の高さや爆風の速さや亡くなった人の数を聞いて、想像以上にその数が多かったことにビックリしました。
 二日目は、平和祈念式典に参加しました。式典には、亡くなった人達の親族や県内外の人達がたくさん参加していました。その中で印象に残ったのは、平和宣言文や平和への誓いの言葉でした。
 二日目も、青少年ピースフォーラムがありました。二日目は、一日目と違いグループで意見を出し合って平和宣言文を作り、最後にみんなで歌を歌って平和学習の全日程が終わりました。
 この四日間で、戦争の恐ろしさを知り、平和の大切さを実感しました。そして、二度と戦争を起こさないように、がんばっていかなければならないと思いました。



左から比嘉優里さん、嘉陽アイリさん、仲本拓真君、村吉政成君  
8月22日に新垣邦男村長を訪ねて旅の報告。
参加した4人に村長から「青少年ピースフォーラ
ム修了証書」が伝達されました。

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