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平和な世界を 写真
旅の報告のため8月17日に新垣邦男村長を訪問。 ピースフォーラムで作成した「平和宣言文」を 発表し、新垣村長から参加者全員に平和大使の 認定証が手渡されました。
8月7日から10日までの4日間、北中城中学校の生徒4人が長崎平和 学習の旅(平和を守る北中城村民の会主催)に参加しました。  

長崎平和学習に参加して  比嘉 未来

 私は、この長崎平和学習に参加する前までは、「原爆が落とされたまち」と軽い気持ちでしかいませんでした。しかし、今回の旅に参加していろんなことを学び、行く前と帰ってきた後では、考え方が変ったと思います。 まず、原爆について思ったことはただただ「怖い」ということです。たったの一発で、一瞬のうちにまちを焼け野原にし、多くの人々の命をうばい、その後遺症で、今もなお苦しんでいる人がいるそうです。私達は、その被爆者の方々のお話を聞く事ができました。
 森口さんという方には、いろんなところに連れて行ってもらい、その行く所全部で詳しく説明していただきました。そこで、実際に見て、聞いて、感じられたことが私たちにとって、一番の経験になったと思います。原爆資料館では、熱線でやけどした人たちの写真などがあり、どれも目をうたがうものばかりでした。 当時の衣服などもあり、それだけでも原爆の悲惨さを物語っていました。びっくりしたことは、平和祈念公園に行ったときです。そこにある大きな像やモニュメント、噴水には、ちゃんとした意味があった、ということに驚きました。その一つ一つに亡くなった人への思いが込められていて、それを聞いたときはとても感動しました。
 また、ピースフォーラムでは、全国各地から、たくさんの人が集まっていて、交流することができました。初めて会う、全く知らない人たちとグループを組み、質問が出され、みんなで話し合う、というものでは、みんな違った様々な考えがあり、いろいろな意見が聞けて、本当に良かったなと思いました。また、パワーポイントを使って分かりやすく原爆について説明してくれたり、その中でクイズ形式で質問が出されたりと、楽しみながら、原爆のことをたくさん知ることができました。そこで知識が増え、沖縄の地上戦の恐ろしさと、原爆の恐ろしさの違いを感じました。フォーラムでの一番の反省は、自分たちで手を上げ、積極的に発表できなかったことです。今になって、とても後悔しています。フォーラムでは、たくさんの人から、多くの刺激を受けました。世界には今現在、約三万発の核兵器があるそうです。六二年前の八月九日、長崎に投下された一発の原子爆弾が、その日までの人々の生活を一瞬のうちに奪い、まちを破滅させました。原爆の後障害に今なお苦しむ被爆者もいます。そのことを知っておきながら、なぜまだ核兵器が存在するのか、不思議に思いました。私たちは、こんな大きな過ちを二度と繰り返さないためにも、語り継いでいかないといけないんだと感じました。
 式典にも参加することができたし、この長崎平和学習を通じて、たくさんのことを学びとることができました。今回、参加することができて本当によかったです。この平和学習に協力してくれた人に感謝して、また、このことを何かに生かしていければ良いな、と思います。
 本当にありがとうございました。



ピースフォーラム  安里 力

 長崎でのピースフォーラムは二回に分けて行われました。一回目は、クジで初めて会う見しらぬ人とグループを組んで「もし、タイムマシーンがあって過去に行けて、原爆が落ちる前まで戻れたら何をする。」ということを考えました。一人ずつ意見を出して「薬や食べ物を持っていく。」という意見や「安全な場所に避難させておく」という意見が多かったと思います。また「原爆が落とされる一分前に待ちぶせして飛行機を落とす。」という誰も考えなかったことを考えた人もいました。この考えに一番おどろきました。三日目に行われた二回目のフォーラムでは、同じ学校の人とグループを組んで「平和宣言文」を書きました。内容は、沖縄の基地問題について書きました。今回ほどみんなで平和について考えるのは滅多にないと思います。なので、いろいろ学べていい経験でした。

長崎原爆

  長崎へ行って原爆について知っておどろいたことは、まず原爆の爆発する部分が想像していたよりも小さくて、こんな物で町が一つ消えてしまうのか、と思うほどでした。フォーラムで、現在の長崎と被爆直後の長崎を見くらべて、どれほど凄い威力だったか知ることができました。それは、木すら立っていなくてとても暗い感じでした。あの中を生き残った人はかなり苦労したと思います。そして、体験者の話では、生き残れてよかったと言わず「生き残ってしまってもうしわけない」と言っていて、相当悲しかったのだろうと思いました。それと、原爆資料館で世界で行われている核実験の回数と映像がありました。今まで行われてきた実験では、なんと、約二千五十回ほどだそうです。あんな破壊しかないものをなぜ研究しつづけるのか不思議でなりませんでした。



 長崎平和の旅に参加して  仲本 結美

 私は、最初長崎は原爆が落とされたところとしか知りませんでした。しかし、今回の長崎平和学習をとおして沢山の事を学びました。
 八月七日、いよいよ長崎平和の旅に出発です。わくわくする気持ちをおさえて、飛行機に乗りました。飛行機の中では、「どんなことをやるのかな」と期待でいっぱいでした。
 長崎についたその夜は、北谷町の人たちと夕食・交流会がありました。あんまり、しゃべれなかったけど仲良くなれたらいいなと思いました。
 二日目は、森口さんの戦争の話を聞き、初めてわかったことがたくさんありました。特に、原子爆弾の恐ろしさが一番印象に残りました。一瞬にして町が焼け野原になり、放射線をあびた人たちは、即死、あるいはひどい火傷を負い、助かった人たちも、白血病などになると聞いたときは、鳥肌が立ちました。 私は、生きても地獄、死んでも地獄なんだなと思い、長崎や広島の人たちは、大変な思いをしたんだなと思いました。あと、世界にはまだ3万発ぐらい原子爆弾が残っているということを聞いたときは、ショックと怒りの気持ちでいっぱいでした。私には、原子爆弾を作ってなんの意味があるのか全くわかりません。1秒でも早くこの世界から原子爆弾がなくなることを祈っています。 午後からは、青少年ピースフォーラムに参加しました。会場には、全国から来た代表の人たちが集まっていました。それぞれグループにわかれ、自己紹介をしました。みんな初めて会う人達だったので、最初は不安で何を話していいかわからなかったけど、次第に慣れてきて、ちょっとずつ話せるようになったときは、とても嬉しかったです。ピースフォーラムの人も、とても優しくて、いい人でした。平和に対する思いを発表するときは、みんなそれぞれ素晴らしい意見を発表してたので私も負けないようにがんばって発表しました。
 夜になると、全国各地の代表の人たちとの交流会がありました。私たちは、北中城村と北中城村中学校の紹介と出し物があったので緊張していましたが、やり始めると、思ったよりスムーズにいき、北中城のアピールは、バッチリだと思いました。あと、三味線も盛り上がって、最後のカチャーシーもよかったと思います。
 3日目は、平和祈念式典に参加しました。会場には、内閣総理大臣をはじめ、亡くなった人たちの親族や全国の代表らが出席していました。式典が進んで行き、その中でも長崎市長の平和宣言や被爆者代表の平和への誓い、児童合唱などが印象深いです。
 平和式典が終わり、最後のピースフォーラムに参加しました。自分たちが今できることをまとめた新聞をつくりました。そして、早くも別れの時間がやってきました。別れるのは、ちょっと寂しかったけど、とても良い思い出になりました。私は、この平和学習に参加したことによって、他の地域の人達とたくさんの交流を持つことができました。そして何よりも平和のありがたさに気付くことができました。このすばらしい経験を絶対に、忘れません。


長崎平和学習を終えて   金城 孝弘 

 ぼくは、長崎平和学習を終えていろいろ学べました。
 まず、八月八日の二日目に森口貢さんの原爆遺構巡りがありました。森口さんも被爆者の一人であり自分が原爆を体験したことを僕たちにいろいろ教えてくれました。まず、平和公園で家族の話を聞きました。その家族の嘉代子さんが死んでそこに親が桜を植えた話を聞いた後にその嘉代子桜を見に城山小学校という所に行きました。そこには、とっても大きくりっぱな木でした。その後、原爆の被害にあった校舎もあって中を見ました。校舎の中を見ると焼けてしまった木材が灰になって原爆の恐ろしさを感じました。爆風と放射線でコンクリートをつきぬけ中にあった木材を一瞬にして焼きつくしたのでものすごい威力だったんだな、と感じました。
 次に森口さんがもっていた写真を見ました。その写真は、人の皮膚が火傷してただれおちているところや放射線で焼かれた人骨などがたくさん写っていました。その写真から本当に放射線は、おそろしかったとわかりました。次にピースフォーラムで各地から集まった小中高生がいてそこでみんなで原爆のことについて学びました。その時に知ったのが、まず、被爆者が約十五万人いて、その中で死亡した人が七万四千人と知りました。そんな多くの人がなくなったのでびっくりと悲しみが出てきました。また今世界中に約三万発もの核兵器があるとわかっておどろきました。次にみんなで「平和にするには?」という題で考えました。それで出てきたのが「ケンカ」でした。やっぱり戦争の始まりはケンカから始まり大きくなると戦争に変るとみんなが思っています。それは、ぼくも考えてみると当たっているなと思いました。
 最後に、平和学習を通しての感想は、平和にするためには、一人ひとりが命を大切にして、相手を思いやる気持ちがあって、また、核や武器を世界からなくしたら平和があるとぼくは感じました。



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