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瑞慶覧さん
表彰された大城常弘さん(渡口)

瑞慶覧さん
新会長の屋我さん(左)から安里さんへ花束贈呈





自治功労者表彰


村監査委員の大城常弘さん(渡口)が、沖縄県町村監査委員協議会の定期総会で自治功労者として表彰されました。大城さんは平成12年7月1日から現在まで多年にわたり監査委員として地方自治振興に寄与され、その功績が認められての表彰です。








生活の合理化を推進する会総会
   新会長に屋我洋子さん

村監査委員の大城常弘さん(渡口)が、沖縄県町村監査委員協議会の定期総会で自治功労者として表彰されました。大城さんは平成12年7月1日から現在まで多年にわたり監査委員として地方自治振興に寄与され、その功績が認められての表彰です。

赤ちゃん抱っこ体験

村では乳児と触れ合い生命の尊さを実感してもうらおうと、7月14日に北中城中学校(我謝達美校長)3年生を対象に赤ちゃん抱っこ体験を行いました。思春期における保健福祉体験学習事業の一環として今年で13回目を迎えます。参加していただいたお母さんの中には、10年前に同体験学習を経験した方もいらっしゃいました。
生徒らは「妊娠したときの気持ちや大変だったことは?」などをお母さんに質問。突然泣き出した赤ちゃんへの対応に戸惑ったりしながらも、「かわいい〜」と顔をほころばせて赤ちゃんを抱っこしていました。
抱っこ体験後は村保健師がタバコや薬、命の誕生に関する講演を行い、「自分を大切にして『生きる』」という意味について考えました。
囲碁大会
経を集中して碁盤に向かう棋士のみなさん
グランドゴルフ
モニター(右)を通して名瀬中学校の生徒と交流
「てーげー(大概)」=「レゲエ?」
   奄美と北中城のネット会議


お互いの日常生活における話題をネット会議で話し交流を深めようと7月16日、北中城中学校(我謝達美校長)と奄美文化センターホワイエの両所で「こどもたちのネット会議」が行われました。奄美ITアイランドフェア2006の一環として北中城中学校と名瀬中学校(奄美)の生徒がインターネットでつながれたモニターを通して交流。最近学校で流行っていることや特技などを披露し合いました。北中城中学校の生徒が出題した沖縄の方言クイズでは「でーじ(たいへん)」は「デジタル?」、「がちまやー(がちまい)」は「スーパーマーケット(○○屋)?」など、名瀬中学校の生徒の機転のきいた珍回答で、一同が和やかな雰囲気に包まれました。
ミネソタで短期留学

7月21日から8月10日までの21日間、16名(伊平屋村の2人を含む)の中学・高校生が受入先のセントジョーンズ大学(米国・ミネソタ州)で短期留学を体験しました。
ELSクラス、アウトドアー、スポーツなど主に大学構内で行われる授業の他、大学スタッフの家族がホストファミリーとなって2泊3日のホームステイを体験。期間中1日はミネアポリス市内にある全米最大規模のショッピング・モール「モール・オブ・アメリカ」でのショッピングやメトロドームでのメジャーリーグ観戦なども行いました。
なお、現地での活動状況を北中城村ホームページに掲載しています。http://www.vill.kitanakagusku.okinawa.jp
調理場見学出発前の短期留学生のみなさん。
「たくさん学んできます!」
ウコンのお勉強
真剣に説明を聴く会員のみなさん
北中城村商工会
   村事業並びに県単融資制度説明会
 

北中城村商工会(安里邦夫会長)は7月25日、村事業並びに県単融資制度説明会を開催しました。地元商工業者の育成並びに行政との連絡強化を図るため村が推進する諸事業について学習し、事業発展に寄与貢献することを目的に約30名の会員が参加。村役場や村教育委員会の職員から各課が受け持つ事業について、また県経営金融課職員より「売掛債務担保貸付」について説明を受けました。
説明後には、地元企業を育成していくために前向きな意見交換が行われました。
これからの文化協会に
   むけて

北中城村文化協会では7月30日に会員を対象に講演会を開催しました。講師に村内在住陶芸家の親川正治(唐白)さんを招き、沖縄市文化協会で専務理事として長年培った経験を話していただきました。これからの文化協会のあり方や役割など、会員一人ひとりが考えて実践していくことが必要であり大切なことであると再認識しました。
囲碁大会   囲碁大会
講師の親川さん(左)と会員のみなさん
グランドゴルフ
ワークショップKJ法で分類。「これはどっちかな?」
「みんなちがってみんないい」
   小学生ボランティア講座


北中城村社会福祉協議会で7月27・28日の両日、村内の小学校5・6年生30名を対象にボランティア講座が開かれました。自分を知り、他者を同じ人間として気づかせること、また、学校や家庭や地域で自分ができることを考え、日常生活で実践し共に支え合う意識を培う機会とすることが目的です。
 ボッチャで障がい者とのスポーツ交流や、星搓国際高校の生徒が講師となって学習障害児や不登校についての福祉講話のほか、KJ法を用いたワークショップで「みんなんでやってみたいこと」「自分たちにできること」についてみんなで力をあわせて考えました。
大きくなって帰ってきてね

佐敷中城漁業協同組合北中城支所(新垣邦男支所長)は、8月2日、熱田漁港でタイワンガサミ(カニ)の稚魚の放流を行いました。放流数は約8,000匹。近年減少している水産資源の回復を目的としています。
調理場見学カニの稚魚を放流する新垣支所長ら

column rogo

北中城村の屋取

 屋取の起源についての明確な史料は少ない。その研究は、伊波普猷が先駆をなし、その研究成果は、「沖縄県下のヤドリ」(『琉球古今記』に所収)として大正十五年に世に出されている。伊波は、屋取の語源を「宿る」に求めている。首里、那覇の貧乏士族が田舎に下って、そこに宿ったことからきているとする。仮住まいの生活が漸次定着して集落化が進んできたという。伊波普猷は、屋取形成を次の四つの時期に分けて考察している。
第一次屋取 二〇〇年前
第二次屋取 一〇〇年前
第三次屋取  四〇年前
第四次屋取  十数年前
この年数は、大正十五年からの推定であるので、今日からは、現在までの年数を加算すればよいことになる。
本村に屋取ができたのがいつなのか、悉皆調査がなされてないので、明確には分からない。屋宜原、大平(瑞慶覧)、石平集落で、古くは五代前にその地に移住してきたと聞けるので、一代を三十年としたら、伊波のいう第二次屋取形成のころが考えられよう。
本村内の屋取は、喜舎場、渡口、瑞慶覧、安谷屋、荻道、大城に形成された。喜舎場には、ヒニグシク山の北側、喜舎場こし原に屋取が作られた。現在の屋宜原である。その屋取は、大正六年に字屋宜原として行政上独立している。地籍の分離は戦後である。『沖縄県史』(二十巻)には、明治三十六年の喜舎場の士族の世帯数と人口が、三十三世帯、二〇四人とある。当時、喜舎場集落内には士族が一軒あったといわれるので、それを除いた数が屋宜原の世帯数と人口であろう。
渡口には、奥武下原に奥武屋取の八世帯、後原に新島屋取の二世帯、中原と前原のメンター屋取の六世帯、前原のンマイー屋取の六世帯があったといわれる(昭和十九年のころ)。
瑞慶覧には、大平原に大平屋取二十六世帯、仲山屋取の二世帯、西原に板原屋取の二世帯、前原に前原(または石平)屋取の十世帯があった(昭和十六年から十九年ころ)。
石平屋取は、中城村(現北中城村)、宜野湾村(現宜野湾市)、北谷村(現北谷町)の境界附近(瑞慶覧の前原、安谷屋の西原、下川原、北谷村の北前)に散在し、行政区としての石平の分立は、昭和三十一年である。
安谷屋には、西原、下川原に石平屋取の二十八世帯、樋川原に稲福・仲宗根屋取の四世帯、上原と荻道の亀甲原に大湾小(真栄城小)屋取の六世帯があった(昭和十六から十九年ころ)。
大城の東原には、大山小、名幸小、天願等の屋取が散在していた。
居住人は、ほとんど首里系である。那覇から移住した人はわずかである。首里系の居住人でも直接当屋取に寄留したのは少なく、ほとんどが他の間切に移って、その次男三男が当屋取に移る、間接的な居住をしている。比較的に早い時期に移住してきた氏系では、例えば、屋宜原では陳氏(浦崎家)、葉氏(伊集家)、大平では麻氏(渡嘉敷家)、石平では那氏(新垣家)などがある。

(大城盛光)


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