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ユーモラスな挨拶で会場を沸かせる安里会長
☆特別功労者
 大城トヨ さん(前村老連会長)
 比嘉 功 さん(前村老連副会長)
 比嘉正雄 さん(前仲順老人クラブ会長)
 喜屋武盛康さん(前渡口寿会会長)
 大城盛光さん(村老連創立40周年記念誌発刊に貢献)
☆優良単位老人クラブ
 安谷屋若松会
村老連会長に安里一三さん
 平成18年度村老連総会開催


 村老人クラブ連合会(大城トヨ会長)は、5月30日、村立中央公民館で平成18年度の総会を開き、会長に安里一三さんを選出しました。
 開会に先だって、会場を埋め尽くした300人余りの会員が「老人クラブの歌」を元気に斉唱。総会では、安里会長がユーモアたっぷりの挨拶で会場を笑いの渦に巻き込みました。また、村老連会長として6年、事務局として15年間務められた大城トヨさんをはじめ、特別功労者および優良単位老人クラブの表彰も行われました。
 総会終了後はアトラクションで賑わい、最後は全員でカチャーシーを踊り大盛況!今年度も元気に活動します。

比嘉勲さん、安里史子さん
  全国市町村教育連合会で表彰


前教育長の比嘉勲さんと元教育委員の安里史子さんが全国市町村教育委員連合会会員表彰を受け、5月31日、村教育委員会で川上辰雄教育長により表彰伝達式が行われました。この表彰は8年以上市町村教育会の委員の職にあり、退任した会員に与えられるものです。比嘉さんは、6年以上教育長の職にあり退任した者に与えられる沖縄県市町村教育長協会会員表彰も受けられました。
 受賞にあたり比嘉さんは「ここまで長くやってこられたのは村職員の支えがあったからこそ。これからも村の発展のために尽力していきたい」と語り、安里さんは「時代の変化と共に子どもたちも変わってきている。教育委員として多くの子ども達とふれ合ってきた経験を活かし、子ども達の笑顔があり続けるよう今後ともお手伝いをしていきたい」とあいさつしました。


比嘉前教育長(中央)、
安里元教育委員(右)と川上教育長

比嘉勲さんは村教育長として平成17年7月31日まで12年間、安里史子さんは村教育委員として平成18年3月31日まで12年間、村の教育行政のため尽力してくださいました。

 


北中城中学校の生徒会長へ指定証を交付。
共にがんばりましょう。

指定団体
・丘の一本松の会
・手話サークル若松
・手話サークルかけ橋
・ボランティアすみれの会
・ボランティア・ひまわりの会
・レクボランティアさざなみ

指定校
・北中城中学校
・北中城小学校
・島袋小学校
ボランティア団体等へ助成金交付

村社会福祉協議会(安里昌次郎会長)は、6月7日、村総合社会福祉センターでボランティア団体及びボランティア活動協力校への助成金交付式を行いました。この事業は社会福祉協議会が指定した村内の団体や学校に対し、社会福祉に関する活動(村内の福祉・老健施設や学校での交流、手伝いなど)や自主研究を支援するもので、平成14年から行っています。交付式では安里会長が「各団体の皆さんと社協双方の情報交換と行動連携をもって活動の充実を図っていきましょう。気軽にお声掛けをお願いします」とあいさつしました。助成金は村民の皆様からの赤い羽根共同募金や社協会費、寄付金により運営されています。
車いすバスケットでふれあい交流

村社会福祉協議会がボランティア活動協力校に指定している島袋小学校(伊佐明美校長)で6月8日、同校6年生が車いすバスケットチーム「沖縄フェニックス」の選手を招き、車いすツインバスケットの体験試合を行いました。初めて体験する車いすの操作に児童が悪戦苦闘する中、フェニックスの選手が車いすのタイヤを利用してボールを素早く拾うと「おぉ〜!」と歓声が沸きました。
 試合後のふれあい交流会では児童が「車いすで困ったことは?」「(脊髄損傷により)汗をかかないが、温度調節はどのようにするの?」などを選手に質問。車いすの方の生活や自分にできることは何か、福祉について考える機会になったようです。

ボール取られる〜!

column rogo

中城グスクを讃える漢詩      
城壁居然守一彊 仰望不動北方強
可憐君側湯池浅 背後無由拒虎狼
城頭回首幾低徊 何處中秋擧酒杯
千古天心明月在 清光夜々照餘哀
名城荒廢任人攀 幾按規模見一斑
形勢不孤北方鎮 依然眇視勝連山

(書き下し文)
城壁居然(ジョウヘキキョゼン)として一彊(イッキョウ)を守り、仰望(ギョウボウ)すれば動かずして北方強し。憐(アワレ)むべし、君側(クンソク)は湯池(トウチ)浅く、背後は由(ヨシ)無く、虎狼(コロウ)を拒(コバ)む。城頭(ジョウトウ)を回首(カイシュ)し、幾低徊(イクガクカテイカ)す。何處(イズコ)にか中秋の酒杯を挙げむ。千古天心明月在り、清光夜々餘哀(ヨアイ)を照らす。名城荒廢(コウハイ)し人の攀(ヨ)じるに任(マカ)せ、幾規模を按(アン)ずれば一斑(イッパン)見ゆ。形勢は孤(コ)ならずして北方鎮(シズ)まり、依然として眇視(ビョウシ)する、勝連山を。

(語 釈)
居然=物に動ぜぬさま 一彊=有能な覇者 湯池=城の堀り割りの要害 清光=月の清らかな光 餘哀=尽きぬかなしみ一斑=一列、ひとくみ 眇視=見詰める

(詩 意)
城壁は物に動ぜぬさまで有能な覇者(護佐丸)を守り、仰ぎ見るとどっしりとして北側は強固だ。ふびんやな、城の回りの堀りは浅く、背後に寄る辺なくして虎狼の如き敵を防ぎ守る。城のほとりをふりかえり見つつ、どれほど思案にふけりつつ歩きまわることか。城主はいったいどこで中秋の宴の酒杯を挙げていたのであろうか。大昔から明月は中空にかかり、夜ごとに尽きせぬかなしみを投げかけている。名城は荒廃し人のよじ登るに任かせている。城の仕組みを調べてみると、連郭をなし、城の様子は孤立することなく北方鎮まり、昔ながらにはるかに勝連の山を見詰めている。

(解 説)
写真集『望郷沖縄』第四巻(州立ハワイ大学ホーレー文庫、大正十四年刊)に掲載された中城グスク正門あたりを写した写真の解説文中の漢詩である。作詩は沖縄県立第一中学校教諭の河島雅弟氏(雅号、遥斎)。勝連城の城主阿麻和利の讒言(ザンゲン)によって王命を奉じて攻め寄せたのに、悲憤の涙を呑みながら自刃して果てたといわれる護佐丸の忠心を讃えた漢詩である。護佐丸を讃えた他の詩歌と意趣は同類だが、護佐丸が築城したグスクの見方が独特である。城壁の北側の堅固さに目をみはり、グスクの回りの堀りの浅さ(無さ)に注目し、グスクの背後に寄る辺なくして虎狼の敵に相対するグスクの構造に着目している。日本本土の近世的な築城のセオリーからの見方かもしれないが一考を要する見方である。中城グスクが連郭式の山城であることは今日では常識だが、すでに「一斑」なる、「不孤」なるグスクと見取っていたのである。昔から今日まで中城グスクが勝連の山をはるかにじっと見詰めつづけている、と結んでいるのも印象的である。
(大城盛光)


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