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島袋小学校で講話をする仲里さん(右:手前)と當間さん(右:奥)
村内小学校で福祉講話
 三月十四日、村社会福祉協議会がボランティア活動協力校として指定した北中城小学校と島袋小学校で、六年生を対象に車いすラグビーで活躍する選手を招いて福祉講話を実施しました。北京パラリンピック車いすラグビー日本代表候補の仲里進さんと當間貴志さんが車いすラグビーとの出逢いや経験談、自身の障がいのことなどを話すことで、目標を持ちそれに向かって努力することの大切さ、仲間の大切さ、命の大切さを子ども達に伝えました。パラリンピック日本代表候補選手と間近に接した子ども達は目を輝かせていました。
アーサ生産部会「沖縄、ふるさと百選」に認定!
 北中城村渡口・熱田地区にてアーサ(ヒトエグサ)の養殖を営んでいる北中城村アーサ生産部会(大城秀雄会長)が「沖縄、ふるさと百選」生産部門に認定され、三月二十四日、沖縄県庁にて認定証の交付式が行なわれました。
 「沖縄、ふるさと百選」とは、「癒し」と「安らぎ」を与えてくれる魅力ある地域を沖縄県民に広く紹介し、地域の活性化に役立てるものです。
 交付式において、国吉秀治沖縄県農林水産部長は「農村の持つ多面的機能を発展させるために頑張ってください」と認定証を手渡した。
 認定証の交付を受けた大城秀雄アーサ生産部会会長は「これまでのアーサ生産部会の活動が認められたことは非常にうれしく思う。今後も、安心安全なアーサ生産に尽力したい。」と意欲を語りました。

認定証を手に喜ぶ大城会長(左から2人目)

新しいバスの前で
新しいスクールバス
 村教育委員会では、村内の児童・園児をバスで送迎しています。これまで使用した三台のバスのうち、大型と小型のバスが古くなったため二台の中型車を購入し、これからは中型車三台で運行します。新しいバスは、座席のカバーにキリンや熊など園児が好みそうな動物のプリントが施されたり、添乗者の席が確保されたり、乗り降りするステップが5センチほど上下する機能などもあり、園児の情操面や安全面にも配慮されています。
 バスの購入価格は三千万円ほどで、ほとんどが特定防衛施設周辺整備調整交付金事業費です。
 職員や教育委員会の関係者で安全祈願を終え、さっそく元気な園児たちを乗せて出発です。
 くれぐれも安全運転でいってらっしゃ〜い。
入園・入学おめでとう!
 4月1日の喜舎場(89名)・屋宜原(90名)両保育所、百登保育園(65名)の入所・入園式を皮切りに、4月7日に北中城中学校(203名)、4月10日に北中城(149名)・島袋(54名)両小学校、4月11日に北中城幼稚園(123名)で入学・入園式が行われました。
 カメラを片手に、我が子の晴れ姿を暖かく見守る保護者に囲まれて、 緊張した面持ちでジッと話を聞き入る子、あまりのうれしさに満面の笑みで眼を輝かせる子、表情も様々です。幼稚園では、伊佐明美園長先生や来賓の方々の挨拶に応える園児の姿もみられ、あいにくの雨にも負けず、元気いっぱい笑顔の絶えない入園式となりました。
 新入生のみなさん!希望の春です。健やかに、大きく成長してください。

北中城小学校
北中城幼稚園

表彰式から駆けつけ、喜ぶ比嘉会長(左)と與儀事務局長
沖縄県交通安全功労団体表彰村交通安全
 三月二十八日、県庁で平成十七年度沖縄県交通安全功労者等表彰式が行われ、村交通安全母の会(村婦人会)が沖縄県交通安全推進協議会会長・稲嶺惠一知事から表彰されました。交通安全母の会が実施する、新入学児童への手作り交通安全お守りの配布や各期の交通安全運動期間中のアイキャッチ作戦の実施等、地域活動が評価されての受賞です。授賞式を終えてすぐに、表彰状と盾を手に担当課(平和文化課)を訪れた交母の会比嘉洋子会長(婦人会長)は「受賞の報告にきました。会員の努力と協力、活動を継続してくださったこれまでの役員や会員のみなさんのおかげです。」と笑顔で報告。與儀美津江事務局長も「総会には、賞状と盾を飾ってみんなに見てもらいます。」と喜びました。
喜舎場の丘に「EMウェルネスセンター」グランドオープン
 ホテルコスタビスタ沖縄に隣接してEMスパコラソンが完成し、四月六日にEMウェルネスセンター(株式会社EM研究機構 平良文男代表取締役社長)がグランドオープンしました。オープニングセレモニーでは、事業の中核を担うスパ施設の完成に比嘉照夫琉球大学教授が「EMの全ての情報を集結し、沖縄だけでなくたくさんの人の役に立てるよう頑張って育てていきたい。」と主催者挨拶を述べられました。
 「病気にならない心と体をつくる」ことを目的としたこの施設は身体の内と外から取り入れるEMウェルネスを実践しており、また施設内の大浴場やリラックスルームから望む東シナ海や中城湾も絶景で、癒しの空間を実感できます。

完成したスパ施設「CORAZON」とオープニングセレモニー(テープカット)
村史「新聞資料編より」
  コラム

 忠魂碑は天皇に忠節、忠義を尽くして戦死した者の忠君愛国の魂を慰め、その事跡を顕彰するために建立された碑である。旧中城村の忠魂碑は、中城城跡の二の郭に建つ。大正四年二月に建設されている。その時代は、内務大臣の通達で一市町村一基であったので、村内唯一の忠魂碑である。同碑の法量は、次の通り。
 高さ二五六センチ、幅五一センチ、厚さ十二センチ。碑の材質は、微粒砂岩。基壇は、琉球石灰岩の切石積み(幅三メートル、高さ一・二〇メートル、奥二・五〇メートル)、台座も琉球石灰岩の切石積み(二段構え)。当初は玉垣で囲われていた形跡がみえる。
 表の「忠魂碑」に対して、裏文は、日露役(日露戦争)での戦死者五名と日独役(第一次世界大戦)での戦死者一名の兵役での階級、勲等級、氏名が刻されている。裏面の上部には、日本の軍隊を象徴する星印の☆が彫り込まれている。側面には、石工の石塚喜左エ門の名も記されている。裏面に記された戦死者は次の通り。
 日露戦役での戦死者:故陸軍歩兵軍曹勲七等功七級 浦崎政得君。故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 仲村渠喜保君。故陸軍歩兵上等兵勲八等 平安名常照君。故陸軍歩兵一等卒勲八等 瀬名波佐賀君。故陸軍歩兵一等卒勲八等 比嘉武太君。
日独戦役の戦死者:故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 嘉陽三郎君。
 建立者は中城村在郷軍人並有志者と刻まれている。
 忠魂碑の建立については、すでに 明治四十一年に中城村在郷軍人会において忠魂碑建設の発議がなされている。(「琉球新報」明治四十一年八月二十七日)。在郷軍人会が日露戦後、いち速くたち動いたのは、内務省から、日露戦中(明治三十七年)に国家に功績あったものや称揚すべき事績のあったもの顕彰を慫慂する通達があったり、建碑の許認可が県知事に委ねられていて建立し易い状況にあったからであろう。大正四年の建立は、沖縄では早い時期の建碑である。(吉浜忍氏「忠魂碑」〈琉球新報〉平成十四年十月七日)。忠魂碑は単に戦死者の記念碑に止まらず、招魂碑としての機能も合わせ持っていたようだ。中城村(旧)は、中城城跡の忠魂碑の前で同村出身戦死者の招魂祭をしばしば開催していたといわれる。あるときには、招魂祭に海軍少将漢那憲和氏の参列のもとに招魂祭が行われたこともあったと伝わる。村出身の戦死者の葬儀を忠魂碑の前で村葬として執行したりしている(「大阪朝日」昭和九年三月二十四日など)。昭和十年代に入ると、出征兵士は、武運長久を祈って、城跡の忠魂碑を参拝して出発するようになっていた。
 因みに、忠魂碑の石材は、同村渡口のメンタ橋に架け渡してあった二つの細粒砂岩(クルトゥ石)のうちの一つであるという(宮城盛輝氏談。建立当時氏は役場吏員)。今一つは、渡口集落の、太平洋戦争戦没者を祀る慰霊塔に利用している(昭和三十四年建立)。
(大城盛光)


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