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村内で最も速かった平田さん
 きっと出会える 人・夢・愛
 第十四回目のおきなわマラソンが二月二十六日に行われ、今年も多くの参加者とボランティアで中部路とその沿道が賑わいました。
 北中城村からの出場者でフルマラソンを完走したのは一〇〇人でした。その中で、最も早かったのは、平田厚仁さん(荻道)で記録は三時間三分五三秒。女性は、屋宜明美さん(島袋)三時間五六分二一秒でした。
 村内の至る所に立哨員が配置され、給水所では水やスポンジ配りなど役場職員や商工会、婦人会などが賑やかにサービスと応援に余念がありません。「きっと出会える人 夢 愛」を実感。
 島ぬくとぅば語やびら大会
 村文化協会主催「島ぬくとぅば語やびら大会」は、毎回、各地域の公民館で開催しています。二月二十五日には、二巡目・最初を喜舎場公民館で開きました。 村内の児童・生徒が六組、一般から二人が参加し、審査の結果は、教育長賞に仲村圭央さん(北中城中)の「一つの夢に向かって」、村長賞には比嘉華代さん(喜舎場)の「私とぅお年寄りとぅぬ出会い」が選ばれ村代表として県大会に出場します。
 教育長賞の仲村さんは、三歳から組踊にかかわり続け組踊継承者になる夢を発表。村長賞の比嘉さんは、うちなーぐちの部で活動し、お年寄りとの語らいの中の様子を発表しました。二人とも島くとぅばの表現力の高さが際立っていました。

比嘉華代さん  仲村圭央さん

守る会の旗のもとに結集
 次世代に基地を残さない 平和を守る北中城村民の会 日米両政府が、普天間基地の移設先として、あらたに辺野古「沿岸案」を県民の頭越しに決定しました。これをうけ三月五日には「普天間基地の頭越し・沿岸案に反対する「沖縄県民総決起大会」を開催。平和を守る北中城村民の会(新垣邦男会長)も趣旨に賛同し五十人余が参加しました。「基地はもういらない」「次世代に基地を残さない」との深い思いを込めた子供連れの父母や祖父母が、会場に結集した三万五千人と共に拳を振り上げました。
 桃の節句にお茶会!
 三月二日、一足早いひな祭りお茶会が屋宜原保育所で開かれました。玄関には、桃の花が活けられ、ホールの壁には菜の花。春の香りいっぱいのお部屋で裏千家沖縄支部の照屋宗豊先生が丁寧にお茶の作法を手ほどきします。五歳児クラスのおしゃまさんたちは、おしゃれをして「お茶をどうぞ!」「お点前ちょうだいします」とおいしい茶菓子とほんのり苦みのあるお茶を楽しみました。お菓子は、白いかるかんに桜の塩漬けをあしらった栄養士さん手作り。三月三日には、喜舎場保育所でも同様のひなまつりお茶会が開かれました。

さっ お茶をどうぞ

北中城村からも自治会長や婦人会などが参加
 交通死亡事故多発非常事態宣言
 二月二十四日の夜間に二件の交通死亡事故が宜野湾署管内で発生しました。二件とも歩行中の高齢者で横断歩道以外の場所で事故に遭ってしまいました。この二件の事故を重く受け止め、宜野湾地区交通安全推進協議会では急遽「交通死亡事故防止住民大会」の開催を決定し、三月九日、宜野湾市中央公民館で開催しました。宜野湾市長や中城村長、北中城村長も参加し、四月の新入学期を向かえ、さらなる交通事故防止と交通安全の必要性を呼びかけました。
 地域の特産・名産品を使った試作品
 北中城村商工会と中城村商工会は「中城城跡」を活用した観光資源調査と地域特産品等の販路開拓に向けた調査・研究の一環で試食会を開きました。三月四日、中城城跡で関係者が集い 企業と共同で取り組んだ試作品の紹介とアンケート調査を実施しました。
 紹介されたアーサ入りのソーセージや島人参の入ったパンなど五品は、前回より改善されて「なかなか美味しい」と好評でした。アンケートの調査結果は中旬ごろ報告される予定です。

試作品の準備に大わらわ

 北中城村功労者を表彰
 三月十日、北中城村功労者表彰式が村役場で行われました。永年にわたり各分野で本村の発展に貢献してくださった七人の方々が表彰されました。
 表彰にあたり新垣村長は「受賞された皆様方は、本村発展のためにご尽力なされた方々です。それぞれの分野で他の模範となる業績を残され、そのことが高く評価されました。おめでとうございます」と述べました。式には、一〇〇人余の関係者が参加し、功労者を称えました。
功労者のみなさんおめでとうございます
 村長としての功績
 喜屋武 馨 様(島袋)
 議会議員としての功績
 仲村ハル子 様(瑞慶覧)
 児童委員・民生委員としての功績
 城間 好子 様(熱田)
 與儀 利枝 様(瑞慶覧)
 比嘉 初子 様(故人・和仁屋)

 教育長としての功績
 比嘉  勲 様(和仁屋)

 村育英会の理事、役員としての功績
 安里 永誠 様(荻道)
 村老連親睦ゴルフ大会
 村老人クラブ連合会は、第11回ゴルフ大会を2月24日・読谷村にあるゴルフ場で開催。大会には、67人が参加し元気はつらつとゴルフを楽しみました。結果、ベストグロス賞に安和守武さん(荻道)、優勝は比嘉正仁さん(島袋)、準優勝は仲宗根喜栄さん(島袋)がそれぞれ受賞しました。


 健康福祉展で虫歯のない子表彰
 2月18日・19日の両日、村立中央公民館で合同開催された健康福祉推進大会や健康福祉展生涯学習発表会は今年も多くの参加者で賑わいました。3歳児健診で虫歯のなかった子54人には、新垣村長が一人ひとり声をかけながら丁寧に賞状を渡していました。
北中城村体育大会 サッカー大会
日時:平成18年3月5日 場所:しおさい公苑多目的広場 主催:北中城村体育協会

 平成18年最初の村体育協会主催競技となるサッカー大会が3月5日(日)にしおさい公苑多目的広場で行われました。晴天の下、8チームが出場し、熱戦が繰り広げられ、大城体協が延長Vゴールの末に1−0で優勝しました。

村史「新聞資料編より」

 コラム

間切制度から町村制へ

 明治政府は、「琉球処分」によって「琉球藩」を廃し沖縄県を設置した。数世紀も続いた「王国」は解体され、王府の役人たちもその地位をうしなったが、「旧慣」が据え置かれた結果、地頭代以下の間切役人たちは従来通りの職務を遂行することになった。
 一八九七年(明治三十)三月に勅令第五六号「沖縄県間切島吏員規程」が公布され、四月一日に施行された。これによって従来の地頭代が間切長となり、首里大屋子・大掟・南風掟・西掟などの役人にかわって、収入役、書記がおかれることになった。また、各村には夫地頭・掟にかわって村頭がおかれた。
 一八九九年(明治三十二)十二月に「沖縄県間切島規程」が公布され、翌年一月から施行された。それに伴って間切・島は法人となり、郡長・県知事・内務大臣の監督のもとに行政事務を処理することになった。同年一月二十三日、県令第三号「間切島会に関する規定」が公布されたが、議員は名誉職であった。予算や間切・村の不動産の処分等に関する議決権はあったが、何かにつけて郡長や県知事の指示に従わなくてはならなかった。
 例えば、会議規則を定めるにも郡長の許可が必要であったし、或いは間切長が、村会の議決は「不適当」であると判断すると郡長の指揮により再議に付し、それでも議決を改めない場合は、再び郡長に具申してその指揮に従った。このことについて田港朝和は、「郡長の権限は強く、郡役所の指導で作り上げた経費予算を形式的に議決するだけ」であったと指摘し、「間切行政は郡役所の出張所的な性格を濃厚に帯びることになった」と述べている(『沖縄大百科事典』参照)。
 一九〇八年(明治四十)勅令第四六号(官報三月十六日)「沖縄県及島嶼町村制」が交付され、間切は町・村に間切長は町長・村長になり、間切という行政区画を表す言葉が無くなった。
 大田朝敷は、同年三月二十七日付『琉球新報』(「新町村制を見る」)の中で、この町村制について「官権跋扈の機会を与ふるものにして、自治的精神を遠ざけること甚だ大なり」と論評し、「郡長及び島司等が新町村の吏員に対する任免の権力一層重きを加へ云々」と述べている
(仲地哲夫)


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