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 毎年恒例の「慰霊祭・例祭」が行われ、式典の後、奉納芸が披露されました。老人会、婦人会、個人などの様々な舞台発表で楽しい午後のひと時を過ごしました。    仲順子ども会がハロウィンを楽しみました。26軒を2時間かけて回り、袋いっぱいのお菓子に大喜びの子どもたち!地域のみなさんのご協力に感謝!!

茶の間通信員 玉城若子

わかば会が沖縄一長い橋「古宇利大橋」にピクニック。天気に恵まれ、長時間のバスもなんのその。橋の途中ではバスを降りて歩いて渡るほど!お昼のそばで更に元気!
茶の間通信員 山内則子
 喜舎場公恒例祭の道ジュネーが旧暦9月18日に行われました。今年は、子どもたちがドラや太鼓・ボラを打ち鳴らし大人顔負け。地域の繁栄と区民の無病息災を祈願しました。
茶の間通信員 岩永妙子
 夕方、大城公民館横広場で、レッドルーフ英会話教室の中村ヒューバー和恵さん主催、大城子ども会共催のハロウィーン祭り。会場は、かぼちゃのちょうちんや仮装した子どもと大人で賑わいました。「とても楽しかった来年もやりた〜い」と大好評。  茶の間通信員 小藪康子  自治会で県立埋蔵センターや首里城公園、福州園などを視察。埋蔵センターでは、参加した小学生が2千年前の生活を再現した模型や土器・石器に興味を示し、係員に質問する場面も!         茶の間通信員 金城弘子

村史「新聞資料編より」
コラム
移民・旅立ちの見送り

 中城村(戦前)の移民は、一九〇三年(明治三六)に二人の若者がアメリカに渡航したのがはじまりである。その翌年から堰を切ったように、多くの若人が、ハワイやその他の国々に移民として旅立って行った。当時、外国の情報は殆ど皆無だった。外国にいくことに多くの不安もあったが、沖縄にいては収入の道も殆どなかったので、お金を儲けたい一心から移民として出ていった。
 旅立ちの模様を、人口に比べて割合多くの移民を送り出した荻道、大城を例にあげてみる。
 旅立ちの日、村(字)の多くの人たちが、村はずれのサカンケー(十字路になっている)まで見送って別れを惜しんだ。親戚や友人が普天間まで同道し、普天満宮に参拝し航海安全と健康を祈願した。 
 船出の当日、出港予定時刻になると、村の年寄りやおばさんたちが、那覇港沖から残波岬まで一望できる、インナーイモー(荻道の南西にある小高い丘)の頂上に集まった。那覇港沖に船が見えたら、ハーメーチヂン(小太鼓)を打鳴らしながら、「だんじゅかりゆし」の歌を唄って航海安全を祈願した。また、たまには、青い松葉を火にくべて煙を立ちのぼらせ「こっちが荻道だよー、見えるかー」と叫ぶ者もいたという。船が残波岬の彼方に消え去るまで唄いつづけて見送った。純朴な農村の心温まる光景だった。
(安里永誠)

文芸コーナー36
文化協会文芸部  月桃第九号

〜 川 柳 〜
「終戦六十周年」 比屋根 邦忠

定年の終戦何処へ天下る 刻銘碑平和の礎と人はいう
平和とはデモや叫びでやって来ぬ 戦中派愛染かつらと軍歌だけ
戦中派選曲までも隊伍組み 病得て人生行軍小休止
宇宙探査よりも治水が先のはず かかわりはごめんとだべりの輪を抜ける
危機感を煽る保険のコマーシャル 肩書きのとれた名刺のこの軽さ


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