村史で見るあの日の九月 ー新聞資料編より
県下各地の長寿者(三)
〔琉新 明35・9・23・火〕
〈前 略〉
◎與儀ウト 中城間切瑞慶覧村平民文化九年二月生当九十歳也。
△出生地及生活 中城間切瑞慶覧村に生れ二十歳にして当家に嫁す。生活の程度は村内にて中等なり。
△生来の養育 父母の膝下に在りて農業普通の養育を受けたり。
△職業及労働 婚嫁してより専ら農業に従事し、現今は常に紡績の業を営む。
△住所地質及飲料水 地質は乾燥にして風通り宜しく飲料水は適当なり。
△家屋 本県在来の茅葺家屋にて四面樹木繁茂し空気の流通最も宜し。
△配偶者 夫は七十九歳にして死亡、寡婦となりし時は八十四歳の時なり。
△挙子 男一人女二人、長男五十七歳長女六十一歳二女四十六歳にして今尚ほ健全なり。
△視力聴力歯牙手足 視力は強く細微を見るを得。聴力は少しく衰え、歯牙は六十歳の頃脱落し、四肢の活動の衰へたりと雖も歩行には左程困難なし。
△食料 若き時は蕃薯を常食とせしも六十歳の頃よりは朝夕二度は米飯にして一度の食量八勺位、昼食は甘藷にして其量凡一斤位、茶煙草は大好物なり。
△血族高齢者 父は八十歳母は八十九歳にして死亡。
△父母の体質 父母とも健康なりしと云ふ。
△衣服沐浴罹病 衣服は芭蕉、木綿を着用し常に洗濯せしものを好み沐浴は冷水を用ゐ一ヶ月六度位なり。幼少の時より重病に罹りたることなし。
中城村の夜学会
〔沖毎 大3・9・20・日〕
中頭郡中城村にては各字共本日より例年の通製糖期まで引続き夜学会を開く由。入会者は学籍にあらざる十四才以上満二十才以下の男子に限る。而して経費は青年会員より支出して教師は各字に各係ありて教授すべしとなり。
洋装に気持も若返った老婆
家族七名とブラジルへ
〔大朝 昭11・9・11・金〕
沖縄の移民朗話 中頭郡中城村字仲順比嘉かめさんは次女婿が十年前ブラジルへ出稼し、今ではサンパウロ市で生活が安定したのでかねての約束通り、かめさんは家族七名とともに近くブラジルに旅立つこととなり、生れてはじめての洋装に気持ちも若返って、骨を埋にブラジルへ旅立つのですよと偉い意気込み。
なほ、ブラジル移民制限後フィリッピン移民はいよいよ激増し、十一日にも三十名の男女が出帆するが、今年一月からの渡航者は昨年中の五百余名を突破し、二倍の千名近くを数へ移民王国の景気を見せてゐる。 |