トップページ地域情報(2)・あの日の4月
親子漆喰シーサーづくり
親子で楽しくシーサーづくり
親子で楽しくシーサーづくり
 2月18日、北中城小学校(石川勝美校長)の6年生122人が親子漆喰シーサーづくりに取り組みました。親子やクラス間交流もしながらのシーサーづくりと、6年間を振り返った映像放映も行われました。映像には、入学当時の様子や各学年の学級ごとの集合写真なども編集され、楽しく6年間を振り返りました。すてきな思い出が一つ増えましたね。小学校生活を閉める行事にもなり、担任の先生には、お礼のメッセージと写真のプレゼントで感謝を表現しました。
村老連・第10回記念ゴルフ大会
 2月25日、村老人クラブ連合会が第10回記念村老連親睦ゴルフ大会を読谷村にあるゴルフ場で開催しました。大会の設立と充実発展に尽力された仲本正治、岸本博次、比嘉正仁、古堅宗仁ら四氏に感謝状と記念品を贈りました。参加者63人全員に賞品が行き届いた懇親会も和やかに進められました。大会の成績は下記のとおりです。

ベストグロス賞
当真嗣宏(字石平)

優勝
安里正春(字仲順)

準優勝
上原幸雄(字屋宣原)

三位
比嘉昌宗(字島袋)
私たちがベスト4です!
私たちがベスト4です!
おきなわマラソン
2時間台で走りきる村内トップの仲泊兼裕さん がんばれ〜
2時間台で走りきる村内トップの仲泊兼裕さん がんばれ〜
 2月27日、きっと出会える 人・夢・愛をキャッチフレーズにおきなわマラソンが行われました。この大会は、中部広域圏の活性化促進と長距離スポーツの振興発展を目的に行われています。

 今回の北中城村内の完走者は、フルマラソンで一般男性74人・女性16人、高校生5人です。10キロレースでも、男性5人・女性12人が完走しました。中には、フルマラソンを2時間台で走りきるつわものもいます。沿道には多くの応援者が繰り出し選手を激励しました。ボランティアのみなさんお疲れさまでした!
ひなまつりお茶会
 3月3日、4日に屋宜原、喜舎場両保育所の5歳児がひなまつりお茶会を楽しみました。子ども達も先生も普段よりちょっとおしゃれをしてのお茶会です。両保育所とも裏千家沖縄支部の照屋宗豊先生の指導で、招く側と招かれる側の作法を交互に学びました。お菓子は栄養士さんの手作りで、屋宜原は桜の花形のちんすこう、喜舎場は桜色の饅頭に桜の葉をあしらうなど工夫を凝らした逸品です。「お茶をどうぞ」「お点前ちょうだいいたします」もすっかり身につき、茶道の侘び寂びというより雅な雰囲気を味わいました。きれいな懐紙は「お母さんに持っていっていい?」とお土産になりました。
うふっ ちょっぴりきどってカメラ目線
うふっ ちょっぴりきどってカメラ目線
「面シーサー」作って卒業サー
いつでも見守ってあげるサー!

いつでも見守ってあげるサー!

 島袋小学校6年生58人で卒業製作として巨大 「面シーサー」を作りました。6年生対象の「シーサーの絵公募」の中から、2組の比嘉千夏さんの絵を基に、字大城在住の仁工房のしっくいシーサー名人山城富箱さんの指導を受け、土をこね、目、耳、鼻等、一つひとつのパーツを焼いた後、しっくいの上にかたどって見事な「面シーサー」を完成させました。校舎に設置されたシーサーは、いつまでも島袋小学校の子供達を見守り続けていくことでしょう。
世界遺産のふるさとづくりシンポジウム
 3月5日、大城公民館で世界遺産のふるさとづくりシンポジウムが行われました。主催した花咲爺会の外間裕会長がこれまでの地域づくりに関する基調報告をした後、世界遺産を生かす取り組みで成果をあげている、演劇「肝高の阿麻和利」に取り組んだ勝連町や、座喜味城跡を生かした読谷村の取り組みが紹介されました。地域づくりプランナーからは、大城・荻道に関わったこれまでの取り組み、県立芸術大学からは学生の彫刻作品を提供してきた事例なども報告されました。 会場には、約100人が集まり世界遺産中城城跡を生かした大城区の地域づくりを学びました。
100人の聴衆で熱気に包まれた会場
100人の聴衆で熱気に包まれた会場
村史でみるあの日の四月-新聞資料編より
中城村長の功績表彰 〔沖毎 明42年4月6日・火〕
 中頭郡中城村長大田爲淳氏が明治十三年より今日に至る三十年間同村役場に職を奉じ最も忠実に事務を処理し、且つ民心を統一して同村今日の隆運を呈したるを以て、同村の有志者は其の功績を表彰し且つ之を感謝する為めに一昨日午後一時同村の中城尋常高等小学校の庭に於て其の功績表彰会を開きしに、朝武士中頭郡長、北谷村長、琉球砂糖会社重役比嘉健三郎氏及同村出身の官吏実業家その他の有志数百名出席し頗る盛況なりき。

 其の式順を云へば新垣盛善氏有志者総代として先づ出でて左の表彰状を朗読し、又紀念として金盃一組を贈呈し、次で朝武士郡長及び其他の有志代る代る大田村長の善行功績を称賛し、大田村長は立って「自分が多年職を奉じて過なきは村民諸君の同情援助に因るが故に自分は深く之を感謝しつつあるに却って有志諸君より斯く盛大なる会を開て微々たる自分を厚遇せらるるは敢て之を謝するに辞なし」と頗る謙遜なる答辞を述べられ式は之にて終り、夫より校舎内にて祝宴を開き高鳥の蓄音機を以て興を助け而して宴酣なるや朝武士郡長の発声にて大田村長の萬歳を三唱し、而して大田村長の胴揚をなし更に朝武士郡長の胴揚を遣って洋々たる歓声の中に退散したは五時頃なり。

 尚ほ大田村長の経歴事績は更に筆を改めて記述すべし。以下略ー
はなしのたね 〔沖毎 大2年4月30日・水〕

△飯匙蛇の腹で鼠の産ツイ一昨日の午后一時頃であった。

 中城城趾を一人の飯匙蛇捕り爺が彼方の石垣を嗅いだり此方の土穴を覗いたりしてよき餌物あれかしと探してゐたが、到頭嗅ぎ充てるや否や毛むくじゃらの腕を差し込んで物の六尺余りもある大きな飯匙蛇をヅルヅルと引出した所が、この飯匙蛇先生たるや実に以外で尻尾を握られたまま身動き一つ仕様とせず眼許りギロギロして苦し相である。これは異しいと思ってゐたら成程腹部が著しく膨脹してゐるのは屹度鼠か何かを呑んでるに相違ないと思ふ。其れにしても普通の鼠より大きいのは若しやマングースででもありはしないか、マングースが飯匙蛇に呑まれるも変だと飯匙蛇取り先生に訊いて見たら先生も同じく不思議だと云ふ。到頭腹部切開と云ふことになって先生懐中より小刀を取り出しサッと下腹を一尺位も剖いて見たら果して一疋の大きな鼠が出た。しかもこれ丈では些っとも不思議でないが、続いて三疋の鼠の赤ん坊が顕れた。加之に母鼠はもう死んでしまっているのにこの真ッ赤な毛のない子鼠は孰れも無事でウヨウヨ生きて母の体内から今生れ出たばかりだ。これは面白い全るで嘘のやうな話だが実際で産気の付いた鼠が飯匙蛇にパクリとやられ鼠の体が飯匙蛇の腹内の圧迫作用でピンピンと胎児は出産したものらしい。兎に角珍しい話でないか。

海外移民から黄金の贈物 〔大毎 昭6年4月10日・金〕 年間百五十余万円沖縄県保安課の調査
 沖縄県保安課調査による昭和五年末の県人海外移民数は三万二千三百七十三名で、送金高は百五十七万二千八百十五円に上ってゐる。
移民の筆頭町村は中頭郡中城村の三千五十二名、西原村の二千七名で、送金は金武村十六万七千十九円を筆頭に一万円以上送金された村が三十ヶ村におよび窮迫せる農村経済を霑してゐる。
(那覇発)

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