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瑞慶覧さん
受章の喜びを語る瑞慶覧さん
綬褒章(おうじゅほうしょう):
長い間業務に精励し、人々の模範となりうる者に黄色の綬とともに授与されます
受章おめでとうございます
 瑞慶覧長正さん 黄綬褒章受章


2006年度春の褒章が発表され、本村から元北中城郵便局速達郵便物配達受託者の瑞慶覧長正さん(74歳・仲順)が黄綬褒章を受章しました。
 瑞慶覧さんは沖縄海洋博覧会の翌年、1976年(昭和51年)に配達委託を受け、昨年9月までの30年間、速達を専門に90ccバイクで村内全域をまわり配達を続けました。方言のわからない若い子からお年寄りまでを相手にし、村内ならほぼ全戸が頭に入っているそうです。辛かったのは台風の日。あまりの風の強さで配達ができなくなり、息子さんを呼んでバイクを持って帰ったことも。「若い職員に囲まれて、皆さんに助けられてコツコツやってきました。このような章を貰うとは夢のようで信じがたい。これからはボランティアなど頑張っていきたい。」と意欲を語りました。
第11回北中城村老人クラブ連合会囲碁大会

村老人クラブ連合会(大城トヨ会長)では、4月20日、村総合社会福祉センターで囲碁大会を開催しました。「棋力の向上を目指し、親睦を深めるとともに、長寿社会の日々を明晰な頭脳を維持して意義あるものにすること」が目的です。5月31日に行われる中部地区大会への派遣選考を兼ねたこの大会では、棋士たちが3つのブロックにわかれて碁盤に向かいました。中部地区大会へは宇座秀雄さん(荻道)、仲村喜正さん(瑞慶覧)、比屋根邦忠さん(安谷屋)が参加し、さらに勝ち進めば静岡県で開催予定の「ねんりんピック」への出場も期待できます。
囲碁大会
経を集中して碁盤に向かう棋士のみなさん
グランドゴルフ
おっ! 良い感じ…
グラウンドゴルフ大会

3月26日、小雨の降る中、島袋小学校にて島袋自治会グラウンドゴルフ大会が開催されました。途中、雨足が強くなって中止となってしいましたが、用意していた景品のくじ引き大会へと変更。小学生から65歳以上の方まで約100名余が参加し、楽しみました。

茶の間通信員  山内則子

調理場見学で食への関心を深める

北中城小学校の1年生(5クラス149名)が、5月1日、学校給食調理場を訪れました。子どもの日にちなんで、こいのぼりに見立てたマンビカー(シイラ)の姿揚げを見学。体長約1.1m、重さ約8kg、子どもたちの身長とほぼ変わらない大きな魚を前にみんな大はしゃぎでした。「最近は魚の絵を描かせると切り身の姿を描く子もいる。魚料理は肉料理と比べると残す子も多い。」と楚南兼二調理員。大きな魚をそのままの姿で給食に登場させることで魚への興味、関心を持たせると共に、子どもたちが元気で健やかにたくましく育つことを願います。みんな残さず食べましょうね!

調理場見学調理員の説明を聞く子どもたち。
マンビカーとどっちが大きい?

ウコンのお勉強
いろんなお茶の試飲も
ウコンのお勉強 
なかよし会(村社会福祉協議会の委託事業「いきいきふれあい会」の団地での呼称)で3月24日、本部町にある琉球バイオリソース開発を見学し、ウコンの勉強をしました。昔から身近にあるウコンが健康によい事を再確認した一日でした。

茶の間通信員 神谷みゆき

ふれあい給食

北中城小学校(森田孟則校長)では、5月1日、行事食の一環として新垣邦男村長、川上辰雄教育長、中村功学校給食共同調理場所長、徳村永盛学校教育指導主事を招いてふれあい給食を実施しました。
 校長室で待機するお客様を児童が教室まで案内。いつもと一味違った雰囲気で給食を楽しみました。新垣村長は「沖縄一おいしい給食です。残さず食べてください。」と子どもたちへ伝えましました。食後には児童からお客様へお手紙のプレゼントも。森田校長は「お客様を受け入れ、感謝の気持ちを持つ良い勉強になります。今後もぜひ継続していきたいですね。」と笑顔で語りました。

ふれあい給食
完成したスパ施設「CORAZON」と
オープニングセレモニー(テープカット)

column rogo

原山勝負

 原山勝負は、明治の中頃に農事奨励のため設けられた、農村の年中行事の一つであった。勝負の審査の対象は、農産物の生産高、家畜の飼育状況、田畑荒廃地の有無、田畑の除草の状況、農道の管理状況、溝の浚渫、堆肥・厩肥の管理、ねずみ駆除、ヤハタ草(ムラサキカタバミ)の有無、道に面した竹を結わえてあるか、屋敷の清掃等についてであった。違反事項について、減点または罰金が科された。審査は、役場吏員や区長などが、2日がかりで村内を巡って行った。
 審査結果の差分式(授賞式)の会場は、大正時代までは瑞慶覧馬場で、昭和の5、6年頃からは記念運動場(中城城跡の東側)となった。1位の字には優勝旗(大正5年制定)、表彰状、賞品(主にお膳)が授与された。当日は余興として、沖縄相撲や競馬が催され、村内外から多くの見物人が集った。大正5年秋の原山勝負には、5,000人余の観衆があったという。会場では、てんぷら、駄菓子などが売られ、子どもたちにとっても楽しい1日となった。
 原山勝負は、大正の頃まで、春と秋の2回開催されていたという。
 新聞資料によると、明治38年春期の中城間切の原山勝負は、3組に分けて勝負している。南組(伊集・和宇慶・津覇・奥間・安里・当間・新垣)、中組(屋宜・添石・伊舎堂・泊・久場・熱田・和仁屋)、西組(島袋・比嘉・仲順・喜舎場・瑞慶覧・安谷屋・荻道・大城)となっていた。賞品は、1位と2位には泡盛があり、負けた組は罰として詫の礼をさせられた。(安里永誠)


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