村史で見るあの日の五月 新聞資料編より
製糖車の為めに負傷す 〔琉新 明31・5・1・日〕
中頭郡中城間切安谷屋村の農民宮城蒲と云へる者、同村平民金城武太に雇はれ、先月二十五日製糖に従事中、誤て右手の指を製糖車に噛まれ、悲鳴に驚き現場に居合せたる人々車を止めて駈つけたるに無惨なる哉。此の際は已に前臂と上臂との関節部たる肘まで圧搾せられ居たるにぞ。皆々大に驚き急速那覇病院へ連れ来り。目下治療中の由なるが、傷は重要部に非ざるを以て生命には別条なかるべしとの事。 多額納税者の家 其十五(完)
中城村の旧家 温厚で子福者 仲村渠榮保氏 〔琉新 大7・5・19・日〕
旧藩時代に二人の地頭代職を出し、其他の先祖も代々相当の役人となって今に一門繁昌して居る中頭郡中城村字大城の多額納税者仲村渠榮保氏は、一見頗る温厚で着実な人で今年五十三歳、村会
△議員を勤むること四回に及び、村中の徳望家を以て知られて居る。そして氏の家が今日の富を成し名声を博するに至ったのは氏から八代前の先祖に当る人の力で、同家は約五百年の昔から中城村に住居して居る旧家であるが、氏の血統は皆長寿で四十歳以内に死んだ人はたった一人しか居ない代々六、七十歳以上の長命で榮保氏の祖母に当れる婦人の如きは
△九十歳余っても尚ほ矍鑠として杖さへあれば一寸も困らなかったとの話である。榮保氏の兄弟は男三人女三人あるが、二男の榮興君は目下亜米利加はカリホルニア州で働いて居り、三男の榮行君はつい一ヶ月前同じく亜米利加から錦衣帰郷して只今は長兄榮保氏の宅に同居して今後の活躍を計画しつつある。そして榮保氏は平生は中城で多くの下男を監督しつつ
△農事に励んで月に二、三回は会社の用向きで出覇して居る。会社と云ふのは海外興業株式会社の代理店を本年の二月頃からやって居るので、出覇の際は久米大通りの元名護家跡を定宿にして居る。氏は又非常な子福長者で二十五歳になる娘を頭らに十一人の子供が生れ長男の榮俊君は今年十五歳で村の小学校の五年生である。氏の趣味や
△道楽としては別に取立てて語るほどの事も無いが、只摂生には常に注意して酒なども余り用ゐない。ああ云ふ極めて静かで平和な生活を好む温順な人だから情誼に篤い事は氏の知友間に氏を畏敬して居る者の多いのでも知られる。
以下略
”妾に夫はない“ に 花むこ殿唖然!
スピード再婚移民篇 〔大朝 昭12・5・17・月〕
微笑ましい移民悲喜劇—沖縄県中城村字喜舎場沖野太郎君(三十二年)仮名=は大正十三年フィリッピンに渡航、理髪屋を営み相当金をためたので愛妻を迎へるため今年の二月ごろ帰郷したが、何しろ移民王国の沖縄県だけに移民さんなら花嫁に行かうと颯爽と花嫁候補の名乗りをあげた首里市赤平町平川夢子さん(仮名)といふまだ肩上げのとれない十六歳の嫁さんと結婚、戸籍面も立派な夫婦として五月初め再渡航の旅に上ったが、長崎の移住教養所でいざ旅券改めの際さすがに恥かしがった十六の花嫁さんは頭を左右に振って「私には夫はありません。」と答へ教養所の人々を唖然とさせ、花婿さんも呆然自失、そのまま帰郷、直に親族会議で花嫁承諾の大評定を開き嫁さんも今度は万事OKとあって十五日那覇を出発した。 |