ブックタイトル広報北中城12月号

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概要

広報北中城12月号

文化振興だより冬至の季節になりました2018(平成30)年も残すところ1か月となりました。年末に向けて大掃除などを計画している方は多いのではないでしょうか。慌ただしい時期になりますが、体調を崩さないよう元気に新年を迎えたいものです。さて、とうじ今回の文化振興だよりでは、今月22日(土)に訪れる「冬至」について紹介したいと思います。冬至について冬至とは、太陽の高度が1年のなかで最も低く、昼の時間(日照時間)が一番短くなる日のことで、この日を境に昼の時間がだんだんとおとろ長くなっていきます。古くから、力の衰えた太陽が冬至を迎えると新たに生まれかわり、それと同時にすべての生命も再生がはかられるといちようらいふく考えられていました。そのため、古代中国では、冬至を「一陽来復」(悪い事や辛い事が終わり、幸運が訪れる)という言葉で表し、1年の始まりとして祝う風習がありました。冬至の日の食べ物沖縄では冬至のことをトゥンジーといいます。この時期になると、きまって中国大陸から強い季節風が吹き込み、トゥンジービーサという寒波が数日間続きます。その寒波を乗り切るため、冬至の日にトゥンジージューシーという炊き込みご飯を各家庭でつくり、火の神や仏壇に供えて家族の健康を祈願します。トゥンジージューシーには、チンヌク(里芋)やターンム(田芋)、豚肉などを具材にしいたけしますが、家庭によっては椎茸・ひじき・人参・カマボコなどが加えられます。史料に見る冬至おりめ冬至を重要な季節の折目とする風習は沖縄にもあり、中国から伝えられたといわれています。冬至の行事が沖縄でいつごろ始まったのか定かりゅうきゅうこくではありませんが、琉球王府時代には既に行われていました。『琉球国ゆらいき由来記』(1 7 1 3年)には「聖上於玉庭、拝北極。規式元旦同也。」と記さりゅうきゅうこくきゅうきれ、『琉球国旧記』(1731年)には「王率百官。拝北極。(中略)国中人民。家々煮田芋。薦之於祖宗。(後略)」とあります。これらの史料から王府時代の冬至は、1正月とならぶ重要な行事であった2琉球国王は中国皇帝がいる北京に向かって遙拝していた3一般の各家庭では田芋を煮て先祖に供えていた、という3つのことが分かります。村内の冬至戦前、村内の各家庭では、トゥンジーの日にチンヌクやサツマイモ、豚肉などを入れたジューシーをつくり、火の神や仏壇に供えていました。熱田では芋の入ったジューシーのほか、チンヌクを仏壇に供えていたといいます(『沖縄民俗』12号)。また、大城の故仲村栄春氏の著書では、子どもの頃、高い所から日の出を望みながら「トンジャマグヮー、トン小ジャマグヮー」と小叫んだ記憶があると記されています(『大城の今昔』)。沖縄で冬至、またはトゥンジーという言葉を聞くと、ほとんどの方がジューシーをイメージすると思います。しかし、その由来や歴史さかのぼを紐解くと、古代中国や琉球王府時代まで遡ることができます。今年のトゥンジーは、中国や琉球の歴史に想いを馳せながら過ごしてみませんか?12月22日(土)午前6時30分より、中城城跡に於いて「第21回わかてだを見る集い」が開催されます。北中城村・中城村の両文化協会を中心とした琉舞、三線、子供三線、太鼓、空手演舞などが行われます。ご家族、ご友人をお誘いのうえ、振ってご参加ください。お問合せ/村教育委員会生涯学習課文化振興係?935-37732018. 12月号広報16