ブックタイトル広報北中城2月号

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概要

広報北中城2月号

文化振興だよりふうトゥルにのせて~歴史風ち致資産調査より~戦前、村内にはトゥル(トロッコ)のレールがありまかでなうんぱんした。嘉手納の製糖工場へ売るサトウキビを運搬するたしめです。県道や各集落の主な農道の片側に1本敷かれたレールの上を、馬につないだトゥルが行き交う姿がみられました。例えば喜舎場の場合、レールは集落西側の屋号イリメージョー<西前門>の隣にあるサーターヤーの前から東へ向かミーウジナーカメーダい、<新荻道ドー>~<仲前田>の前などを通って、県道へふてんまきゅうな向かいました。そこから安谷屋~普天間~喜友名を通り、おおやま大山駅でケービン(沖縄県営鉄道)に積みかえて、サトウキビは嘉手納の製糖工場へと運ばれていきました。トゥルは、長さ1間(約1.8m)、幅4尺(約1.2m)、金属のハーガー(車輪)が4つあり、サトウキビを2,000~3,000斤(1.2~1.8t)積むことができたそうです。そこでふと、疑問。1本しかないレールで行きと帰りのトゥルがかちあったら、どうなるのだろう…?その場合だっせんは、帰り(空のトゥル)を脱線させ、行き(サトウキビを積んだトゥル)を先に通したそうです。また、行きのトゥルが脱線した場合には、後から来た人や帰る人たちが協力して積み荷を軽くし、トゥルの底に棒を入れてテコ代わりにしてレールに乗せ、サトウキビを積み直して運んだといいます。体力のある若者の仕事だったそうですが、納得ですね。トゥルの活躍は、昭和10年代に村内に製糖工場が建てられるまで続いたそうです。文化振興係では歴史風致資産調査の一環として、戦前の集落の様子などについて聞き取り調査を行っております。これからもご協力よろしくお願いします。トロッコ参考文献:『北中城村史第2巻民俗編』『宜野湾市史第5巻資料編4民俗』お問合せ/北中城村教育委員会生涯学習課文化振興係?935‐3773県道▲?1935~1945(昭和10~20)年頃の喜舎場の屋号地図(※西側部分)13 2018. 2月号広報