ブックタイトルkitanaka_591

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概要

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9月20日から3 ヶ月間の研修期間を修了し、12月16日に村立中央公民館で修了式が行われました。 修了式では日本語による研修報告のほか、琉球舞踊、三線、夢海渡太鼓などの伝統芸能を披露しました。 ハイタイ、チューウーガナビラ。ワンネーアサトナオミヤイビン。ワニアアルゼンチンンシ、4セイナトーイビン。 このすばらしい研修は、9月20 日に始まりました。私は、沖縄の文化とのよりつよい結びつきをもつことができるこの機会をいただき、新垣邦男村長にかんしゃしたいです。私たちは北中城のまつり、かん月会、北中城の70 年しきてん等イベントに参加することが出来ました。これらのイベントでより多くのものを共感することができました。今年は、ウチナーンチュのきもちをわかる機会がありました。うつくしい海を見て平和を見つけたので沖縄はしぜんの美術館とおもいます。しぜんをたいせつにする いみがりかいできました。10月の終わりに、わたしたちは若者大会とウチナーンチュ大会に参加することが出来ました。沖縄に来る前に私は100%アルゼンチン人でした。沖縄の文化があまりわかりませんでしたから。沖縄にいる私は半分アルゼンチン人で、半分ウチナンチュです。でも、今私は100% 北中城の人。ここで学んだことはすべて、アルゼンチンの人々全員に伝えたいと思います。(一部抜粋) 私のひいおじいちゃん と ひいおばあちゃん は沖縄で生まれました。 100 年ぐらい前に ブラジルへいきました。なぜなら そのころ沖縄はまずしく みんな よいせいかつを もとめて いたからです。ですがげんじつは きびしく 文化や げんご の ちがいまたせいかつも まったく ちがいました。そんななか 移民者たちはいっしょうけんめい はたらきました。私が子供の頃 おばあちゃんは 私に 沖縄民謡を よく聞かせてくれて、 琉舞のビデオを見せてくれました。うちなーぐちは 子供の頃 おばあちゃんが しゃべるのを聞いて、しぜんに おぼえました。この研修は 私に とっての 夢で 親ふぁーふじ のふるさとを しるきかいでした。沖縄の ことわざに [ちちぬはいや んまぬはい] と 言うことばがあります。この三ヶ月の研修は とても じゅうじつ していて 時間がすぎるを 早くかんじました。沖縄は 私の ふるさと だとかんじました、 たくさんの 友達 と 出会い、新しいかぞく とも 出会いました。 ここは わたしの 帰る場所です。イッペー ニフェーデービタン(一部抜粋)海外移住者子弟受入生 修了式について 今年、ウチナンチュ大会と若者ウチナンチュ大会に参加して、色々な国の人たちと出逢い友達になりました。僕は東京、なごや、よこはま、京都へ行きましたが、みんなは「ようこそ」といってくれましたが、いつもぼくは外国人だという気持ちを感じました。しかし、国際通りのパレードの時に、知らない人にもこころから「お帰りなさい」と言われました。その気持ちはさいこうでした。でも、そんな気持ちは、多くのおとしよりたちはもっと強く感じています。どうして遠い所に僕たちの家族がいみんしたか、その人たちはよくわかるからです。でもわかい人はあまりわかりません。この事を伝えなければなりません。 パレードの時だけではなく、この三ヶ月で色々な人と色々な所で初めて出逢って、私たちは日本人じゃないに気づいて、多分日本語はへたなので、いつも「どこから来ましたか」「この人の事をしっていますか」「沖縄に戻ってきておめでとう」とよくいわれます。とても長いたびからやっとふるさとに帰ってきた気持を感じていました。 私たちは今、せんぞたちが残した文化を、皆様が作った架け橋を守らなければなりません。その架け橋がもっと大きくなるようにしたいです。僕にとって一番大切です。 沖縄で学んだことと感じた事を忘れません。全ての時間は宝物です。ペルーへ帰ったあとで、みんなに素晴らしい沖縄の事と家族みたいにうけいれてくれたことを話します。そしていつか、県費留学生として戻ってきたいです。(一部抜粋)大城 金城 アルド ラウル(ペルー)おおしろ かなしろ安里 ナオミ(アルゼンチン)大工廻ルーカス ケンゾ(ブラジル)[うちなーの心、 忘れるなよー うちなー の歌を 忘れるなよー響けよ響けエイサーの音 この島の夜に魂の音を。。。]左より大城さん、安里さん、大工廻さんだくじゃく2017.2.27 ? 9 ?